下座行50年

下座行50年 · 22日 10月 2016
<求めているものは何か> 下座行――― 雑踏の巷に身を置くことの意味は、 仏道修行 それだけではありません。 路上に坐して、 大衆の目線で 時代の動向を 見つめることができる場所であり、 また 時代に生きる人々が 求めているものは何か―――など、 そうした生きた情報を 肌で感じながら、 手に入れる場所でもあります。 さらに 禅僧として どのように活動したらよいか、 それを 感知する場所でもあります。
下座行50年 · 15日 10月 2016
―――参禅3年――― 長屋和尚が 「寺持ち僧侶になるなら 僧堂(専門道場)に行け、 本物の禅坊主になりたければ、 雑踏の中で坐禅を組み、 道を求める途中で 野たれ死にしても 悔いはなし の覚悟で坐れ」 といわれました。 然し、 道端で坐るということに 気後れもあり、 また 恥ずかしい という気持ちもあり、 躊躇ちゅうちょしました。